モータウンを代表するソングライター、ラモント・ドジャーが81歳で死去

60年代モータウンのヒット曲を手掛けたソングライターで、シンガー/プロデューサーでもあったラモント・ドジャー(Lamont Dozier)が8月8日、アリゾナ州の自宅にて81歳で死去しました。

息子のラモント・ドジャー・ジュニアが訃報を伝えていますが、死因は発表されていません。

モータウンでは、ホーランド兄弟のブライアンとエディとプロダクション・チームを組み、「ホーランド=ドジャー=ホーランド」というソングライティング・トリオとして活動し、シュープリームスの「Baby Love」「Stop! In the Name of Love」「You Can’t Hurry Love」をはじめとするNo.1ヒット10曲を含め、マーサ&ザ・ヴァンデラス、ザ・ミラクルズ、マーヴィン・ゲイ、フォー・トップス、アイズレー・ブラザーズらのヒット曲など200曲以上を手掛けました。

しかしながら、ドジャーとホーランド兄弟は1968年にモータウンを去り、3人は独自レーベルのインヴィクタスとホット・ワックスを設立、ドジャーはこのレーベルでソロ・アーティストとしてレコーディングを開始しました。最も成功した曲は、1972年の「Why Can’t We Be Lovers」で、同曲はビルボードのR&Bチャートで9位にランクインしましたが、ドジャーは翌1973年にトリオを脱退しました。

その後のドジャーは、1973年のシングル「Trying to Hold on to My Woman」と「Fish Ain’t Bitin’」、1977年の「Going Back to My Roots」などがヒットしたほか、1988年のイギリス映画『Buster』(邦題『フィル・コリンズ in バスター』)に提供したサントラで、コリンズとコラボした「Two Hearts」がUS、カナダ、日本のチャートで第1位を獲得。同曲は、1989年にグラミー賞とゴールデン・グローブ賞に輝きました。 なお、ホーランド=ドジャー=ホーランドは、1988年に「ソングライターの殿堂」入りを果たし、2年後の1990年には「ロックの殿堂」入りを果たしています。

2019年には、ドジャーのメモアール『How Sweet It:A Songwriter’s Reflections on Music, Motown and the Mystery of the Muse』が出版されています。

安らかなる眠りをお祈りいたします。